持続可能性について(開発についての考察)
ザンビアはめっきり秋めいてきました。ピンク色の薄が太陽にキラキラと靡いてとてもきれいです。
開発について興味がある人なら1度は聞いたことがあるSDGs。持続可能性について今日少し考える出来事がありました。
自分は郡の保健局に配属され活動しており、今日は多剤耐性の結核患者の追跡と治療をしている専門の看護師さんに同行する機会をいただきました。(郡により今年から雇用)
バイクでスラムの中を走り5人の患者さんの家に訪問し、カナマイシンの注射をしていました。(飲み薬が効かなくなってしまった人にはより強い注射をしないといけません)
その経費は今回、自分の生活費から捻出しました(100ザンビアクワチャ。日本円では1000円。現地相場では4000円)
彼女の話によると毎日患者の元に行かないといけないが、交通費として郡からもらっているのは月に150クワチャほどしかないとのこと。これでは2日も訪問することはできません。自腹を切って行っているとのこと。
なぜ交通費を捻出できない中で、専門のスタッフを雇ったのか?予算がない活動は存在しないも同じ‥どうしてもうまく行く気がしません。
毎週月曜日に行われる郡のマネジメントミーティングでも、予算は承認されたがまだ補助金が降りてきていないためにできない活動が山ほど議題に上がっています。(郡の予算、そしてスタッフの人件費の多くをCDCなどの外国からの補助金で賄っている現状です。)
また先日行われた郡の各施設の代表者を集めて行われた、District Integrated Meetingという会議も外部の補助があったからできました。
会議自体は郡の中で良い取り組みをしている施設の取り組みを紹介したりしてAction Pointsを最終的に取りまとめて意義はあったと思うのですが、外部からの援助がないとできない会議が今後も定期開催されるとは思えません。
開始時間になっても始まらないのに午前のティーブレイク、お昼ごはん、おやつの時間はのしっかり確保。
発表のプログラムはしっかり作成されているものの、印刷されていないために誰も把握していないスケジュール。発表の最中に急いで準備されるスライド(たまにできていないから発表できないという施設も)
(プレゼンテーション担当の人がスライド作成が終わっておらず、自分が進行をすることに‥)
そして、そういう会議の時に配られるミネラルウォーターや各種お菓子や豪華なランチ。
(余るほどの水)
こういったお金がありながら必要不可欠な活動の交通費さえ捻出できない現状への疑問。
お菓子などのインセンティブが無いと会議に誰も来ないという現地特有の事情は理解はするけど、このお金を必要としている活動は他にあるのではという疑問は消えない。
自分の力で苦労した分しか人は大事に使わないとすれば、援助で苦労せずに得た物は本当に大事に使われるだろうか?
計画を立てる人が援助を本当に必要としている人でないのに、援助を必要としている人のためにお金を使おうとするだろうか?
自分の生活のために(本当は必要ない仕事を作り出すために)お金を使おうとするのではないか?
こんな事を思ってしまいます。
現地の考えは大事にしたいけど、何かしようとした時に
「Ndalama(お金)がないから無理!」
という発想だけは、自分の中に染み込ませたくはないという考えに今のところなっています。
ネガティブな雰囲気になってきてますが、逆説的に周りへの感謝はすごく強くなってます。
だって自分が一番役立たずだから(笑)税金で生活させてもらってる身分だから!
そんな自分ができることは
周りに笑顔で感謝を伝えること!できれば日本に対して好印象を持ってもらうこと!
(でも理不尽なことには全力で反撃します!ナメられたら嫌だもんね)
持続性について考え始めたら、国際協力という名の迷路に迷い込んだようなのでこの辺で失礼します。
Mugona bwino
おやすみなさい